とある地方大学生の生き方

学生。主にプログラミング関連の記事を書きます。

【蒸気で動くコンピュータ!?】そろばんからコンピュータの歴史を伝う

計算機工学のアウトプットです。

コンピュータは元々計算を行う機械だったので、計算機としての歴史を振り返ります。

現在のようなコンピュータが生まれるまでの歴史は、いかに人類が計算の自動化をしようとしたか、その時代ごとの最先端技術に沿っていきます。

 

参考図書

 

 

 

 

そろばん

計算を楽にするための機械の起源となると、それはそろばん。

 

・紀元前3000年のメソポタミア文明で初めて生まれた

・粘土板に小石を並べてものを数える仕組み

 

私たちがよく知る、軸に数を表す玉を通して計算を行うそろばんは、11世紀の中国で開発されたと考えられている。ヨーロッパから伝わり、石板に掘られた溝に石を並べるスタイルから持ち運びやすさのために改良された。

 

そろばんの誕生からは、ヨーロッパで10進法の定着から、数学の発達が進むまで、目立った発達は無い。

 

計算尺

・1633年にイギリスの数学者、ウィリアム・オートレッドによって開発された計算尺が有名

・定規をスライドさせ、目盛りを合わせて扱う

 

ウィリアム・オートレッドは牧師だったが、数学に打ち込んだという。

もともと開発されていた対数尺を2つ組み合わせることで乗除算ができたという。

 

パスカルの加算器

税務署で働く父のために、1642年にブレーズ・パスカルが開発した計算機。当時最先端だった歯車機構を用いて、10進数を表し、加減の計算が行えた。

歯車の歯数の比を10にすることで、ある歯車が1回転するとその次の歯車が歯数1つ分動くことで、十進数を表した。

 

当時の歯車の性能が悪く、まだ実用的ではなかった。

 

ライプニッツの計算機

ドイツの数学者ゴットフリート・ライプニッツが発明した段付き歯車を用いた手回し式の計算機。加減の計算だけでなく、乗除算の計算が行える機構が付く。

 

タイガー計算機(虎印計算機)

大本寅次郎が昭和6年に発売した、タイガー計算機。当時高価であったにも関わらず、広く普及し、日本では馴染みのある計算機。かつて事務処理を行っていた場所には現在も残っているかもしれない。

 

 

蒸気機関で動くコンピュータ

・1774年にジェームズ・ワットが蒸気機関を発明

・19世紀中期に蒸気機関を用いた計算機械を作る計画が行われる

 

19世紀中期のイギリスで、チャールズ・バベッジを中心として、蒸気動力を用いた計算機の開発が計画されていた。

しかし、当時の技術水準とコスト過多から完成されることのなかった機械式計算機が、バベッジの階差機関(差分機)

その構想では、いわゆる演算装置と記憶装置、カード穿孔機、印刷装置が備えられているなど、入出力装置などが構成されていた。

これは、現在のコンピュータの構成と全く同じであり、パンチカードによって操作の制御・プログラムが可能であったという。

彼の没後1世紀以上の1991年に彼の構想通りに初めてマシンが設計され、このマシンが当時に完成していれば、動作していたことを証明した。

 

チャールズ・バベッジは数学者、哲学者であった。

 

コンピュータの基礎理論

19世紀中期から20世紀にかけ、現在のコンピュータに欠かせない数学的な理論や考えが築かれていく。

ブール代数(boolean algebra)

19世紀半ばジョージ・ブールが考案した代数系の一つ。論理の数式化を行った。

コンピュータでは主に論理回路に用いられている。

シャノンの情報理論

1948年にクロード・シャノンが発表した理論。情報を科学的に扱った理論。文字情報や音声、映像など全ての情報は0と1からなるビットで表すことが可能であることが示される。

このことは、文字情報が載ったメールを送信したり、音楽や動画を再生したりなど、現在のコンピュータが多彩な機能を持つ基盤になった。

チューリングマシン

イギリスのアラン・チューリング(Alan Mathison Turing)が1936年に論文で提示した仮想のマシン。

一定の操作で、計算可能な計算であれば、全て計算できる機械(チューリングマシン)が作れることを示す。

・テープとヘッダという部品を用いた架空の機械

・現在のコンピュータのデータの書き換え、読み込みの仕組みにとても似ている

 

チューリングナチスドイツの最強暗号を解読したことでも有名。生物界の功績として動物の模様を数式で表した(チューリング・パターン)。

 

電気計算機 Harvard Mark-I

"電気"計算機の中で有名な1944年にハーバード大学のハワード・エイケンIBMの協力によって完成したHarvard Mark-I。IBM(International Business Machine Corp.)はアメリカのコンピュータ関連企業。

"リレー"を用いて電気式にすることで機械式よりも計算速度は上昇。"電子"計算機が台頭し、すぐに時代遅れに。

 

電子計算機の時代

ENIAC

1946年に"真空管"(電子工学・エレクトロニクス)を用いたコンピュータであるENIAC(エニアック)が登場。ペンシルベニア大学のJ.R.エッカート博士、ジョン・モークリー博士によって設計され、真空管の数は17800本、他にも様々な部品が何千・何万個と使われ、長さ30mもする巨大な機械であった。

 

しかし、ENIACを使って別の計算を行うには回路変更をしなければならず、何千ものプラグの接続とスイッチの切り替えを有した。

 

ジョン・フォン・ノイマン

1947年にジョン・フォン・ノイマンはプログラム内蔵方式の構想を発表。現在、実用化されているコンピュータのほとんどがプログラム内蔵方式であり、"コンピュータの父"とも呼ばれる。

ジョン・フォン・ノイマンは数学・物理だけでなく、気象・経済に至るまで功績を残している。

はじめてのプログラム内蔵方式コンピュータEDSAC

1949年にイギリスのモーリス・ウィルクスによって完成したEDSAC。プログラム内蔵方式とは、記憶装置にコンピュータへの命令(プログラム)を保存しておく方式のこと。もう別の処理をさせる前に、プラグとスイッチを切り替える必要が無くなった。

 

その他の真空管式のコンピュータ

ノイマンによるEDVAC

・初の商用機UNIVAC-I

UNIVAC-Iは1952年アメリカ大統領選挙アイゼンハワー当選を予想した。

 

これら、真空管式のコンピュータは第一世代のコンピュータと呼ばれている。

 

コンピュータがミサイル軌道計算や水爆実験などの戦争利用から商業利用へと変わっていく。

 

トランジスタの誕生

真空管式のコンピュータは壊れやすく、消費電力が高いなどの問題を抱えていた。

放熱もひどく、当時の巨大なコンピュータを夏に利用するのことも大変だったいという。

 

これらの問題を解決したのはより壊れにくく、より小さく、より消費電力の小さいトランジスタ。生みの親は有名なショックレー(William Bradford Shockley Jr.)、ブラッデン(Walter Houser Brattain)、バーディーン(John Bardeen)の3人。

 

1950年にはトランジスタを用いたコンピュータ(第二世代)が登場するも、シリコンチップに複数のトランジスタを乗せたIC(集積回路・Integrated Curcuit)が1959年に誕生。

次にMSI(Middium Scale Integration)・LSI(Large Scale Integration)といった、さらに小型・高性能なトランジスタを集積した回路によって第三世代が登場。

より集積度の高い超LSIによってそれ単体でコンピュータとして機能するマイクロ・プロセッサが開発され、それらを用いた現在のコンピュータは第四世代と呼ばれている。

 

マイクロ・プロセッサの誕生

初めての4ビット・マイクロ・プロセッサ、Intel 4004(1971年発表)。電卓製造の利便性から、演算装置、記憶装置、制御装置がひとまとまりになったICが構想されたことが起源。

 8ビットの8008を経て、8080、8080Aが売れるように。

 

・ここでいう4ビット、8ビットとはバス幅を表す。

・バス幅は一度にコンピュータで処理できる情報量のこと。

マイクロ・コンピュータ

TK-80

インテルの8080Aマイクロ・プロセッサを用いて、マイクロ・コンピュータが作られるようになる。

・日本で1976年に日本電気から発売されたワンボード・マイコン

・CPUからメモリ、16進法のキーボード、LEDの表示装置が搭載

使うには機械語を覚えて、16進法の数字を入力しなければいけなかった。見た目はボードに貼り付けてある回路が剥き出し。ディスプレイは着いていない。

 

1977年にはキーボードとディスプレイを持ち、BASIC(手続き型プログラミング言語)が使えるコンピュータが生まれ、普及するように。

初期はほとんどゲームマシンだったが、価格低下と周辺機器の向上により、オフィスでも使われるように。

 

パソコンの時代

8ビットマイクロプロセッサが主流になったあたりから、マイクロ・コンピュータはパーソナル・コンピュータと呼ばれるようになる。

 

年代とマイクロプロセッサの主流バス幅

バス幅
1971 4
1974 8
1978 16
1985 32
2017 64

トランジスタの小型化によって、ハードウェアはどんどん高性能化していく。

現在のCPUは約7億個のトランジスタで構成されている。(初期のマイクロ・プロセッサ4004は2250個。)

 

ソフトウェアの進化

1970年代では、ワークステーションと呼ばれるパソコンとは別のコンピュータがビジネスや科学技術分野で広まっていた。UNIX(OS)が搭載されていた。

1980年代になると、それまでパーソナル・コンピュータが備えていなかったオペレーティングシステム(OS)が普及するように。現在ではもはやOS無くしてコンピュータとは言えない。OSはコンピュータを操作するための基盤となるソフトのこと。

MS-DOS(Microsoft, 1981年)

マイクロソフト社がWindowsより先に開発したOS。まだ操作はマウスではなくキーボードだった。

MacOS(1984年)・Windows(1985年)

マウス操作など、視覚的に分かりやすく操作性の良いGUI(グラフィカル・ユーザ・インタフェース)を備えたOSが登場。

コマンドを覚える必要が無くなり、より多くの人々にパーソナル・コンピュータが普及するように。

 

 

スマートフォンタブレット

・1990年代からノート・パソコンと同時に、PDA(Personal Digital Assistant)携帯情報端末が海外で普及するように。初期の小型タブレットのようなもの。

 

PalmPilot(Palm,1996年)

Palmアメリカの企業

・タッチペンで操作する小型の端末

・現在のスマートフォンと見た目はそっくり

Nokia 9000 Communicator(Nokia, 1996年)

Nokiaフィンランドに本社を置く企業

・携帯電話とPDAを統合した仕組み

・現在のスマートフォンの祖

BlackBerry(RIM, 1990年)

・カナダのブラックベリー社が開発

・小型のキーボードを搭載

 

当時のスマートフォンは小さな画面やキーボードで、今ほど大衆には普及しなかった。

 

iPhone(Apple, 2007)

・綺麗な液晶画面

・指で触れるタッチ操作

・音楽、動画など様々なインターネットサービス

当時携帯会社の販売促進により、日本ではかなり普及している。

 

利便性の高いユーザ・インターフェースがスマートフォンの普及につながった。

 

 

というような感じでした。後半は計算機に電気回路電子回路が用いられるようになってから進化が急速…。

最初の真空管が使われていた頃のコンピュータは30mもある巨大なものだったんですね。調べると人の手ではんだ付けされた部分が何万箇所とあったそうで驚き。

トランジスタの縮小化からハードの進化が進んだ後は、ユーザインターフェースの向上でより多くの人々にコンピュータが普及していったようです。

TK-80など原始的なコンピュータも自分にしか操作できないワクワク感がありそうで個人的には気になりました。